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プロダクトインタビュー

CEOになって思うこと

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今回は、代表取締役CEO崔さんのインタビューを通して、崔代表のこれまでのキャリアや、これからのcocone vでの挑戦についてお伝えします。

「キャラクター大国、日本」への留学 

1999年に日本語を学ぶ為に初めて日本に来ました。もう22年前ですね。
軍隊を出る直前、韓国で勉強を続けるか、就職をするか悩みましたが、結論としては、日本という海外での生活に挑戦することを決めました。 

一番のきっかけは、実は私の姉が日本人と結婚していて、既に姉が日本に居たんです。
なので本格的に日本語を学ぶ前にも何度か、日本に来たことがありました。 

遊びに行った時に「この国は面白い国だなぁ」と思うことがあったんです。 
というのも、日本はどこに行っても「キャラクター」がいます。 
当時、韓国ではそんなに「キャラクター」を活用する場面が多くなかったんです。 

例えば、日本の工事現場の前には、工事中の看板に申し訳無さそうな顔をして頭をさげている キャラクターがいますよね。
当時の韓国では普通文字だけですよ。「工事中」だけで終わり。 

同じお知らせでもキャラクターが入ることで与える印象が変わりますよね。 
それに企業や商品一つ一つにもキャラクターがよく使われています。 街中キャラクターだらけ(笑)。
日本は「キャラクター大国」。それがすごく面白くて印象に残っていました。 

それに、中学生時代は、「AKIRA」や「北斗の拳」を読んでいて日本という国に親近感がありました。 
絵のクオリティーはもちろんのこと、深みがあって読む人を考えさせるストーリーに刺激されました。 

当時の韓国人は海外留学や就職だと、アメリカやカナダを目指す人が多かったのですが、 私は馴染みのある、日本の文化や日本語を勉強しようと思って、日本に来ることを決めました。 

多忙な日本生活で救ってくれたのは恩師の言葉

日本語学校に通いながら、生活費や学費を稼ぐため、アルバイトを2つ掛け持ちしていました。 
親から仕送りを貰わず、自分できちんと生活をしたかったんです。 

朝から日本語学校に通い、午後はホテル掃除、夜中3時くらいまでは飲み屋でホールという生活でした。
睡眠は1日平均4時間ぐらいでした。

 ホテルの掃除では待機時間があって、一緒に仕事をしていた日本人の方から日本語を教えてもらったり、時にはご飯を食べさせてもらったりしていました。 

今思い出すと、すごく優しい人達に恵まれましたね。その経験から日本人に対しての印象が大きく変わりました。 

そんな生活で、アルバイトの掛け持ちで睡眠時間も短い。 日本語学校では授業中に疲れ果てて寝てしまうこともしばしばありました。 

その時に学校の先生に言われた言葉が今でも忘れられなくて、事あるごとに思い出します。 

当時、寝ている私の肩を優しく叩き、 「崔さん、寝るために日本へ来たわけではないでしょう?日本語を学ぶためにきたんですよね? 」と言われハッとしました。 

そうだ、私はそのために日本に来たのだと改めて気付かされた。
そこからは、いくら眠くても目薬を点しながら必死に授業を受けていました。 

また日本語学校を卒業し、デザインの専門学校に入学しました。 
そこでも新たな学びや出会いがあり、今思い出すと良い時間を過ごしたと思います。

学校を卒業する際に、親しくしてくださった先生から、 「あなたは日本に来るにあたって、大きな勇気や覚悟が必要だったと思います。日本に来た以上、自分を安く売らないでください。成長し続ければ必ず成功する。」と言ってもらいました。 

当時の先生から言われたこの2つの言葉は印象に残っていて今でも頭に残っています。 
正直その当時多くの苦労をしましたが、自分の人生の中で充実した生活が送れていました。 

専門学校卒業、NHN Japan㈱への入社 

学校を卒業した後、横浜にある会社から内定をもらっていたのですが、2004年4月にNHN Japan㈱(現NHN JAPAN㈱、以下NHN Japan)に入社することを決めました。

NHN Japanは「ハンゲーム」を取り扱っていて、「韓国で有名なあのハンゲームを日本で運営している会社か」と思ったのと、オフィスがあった恵比寿ガーデンプレイスって当時すごくおしゃれで。 

それ以外にも、本音を言うと韓国系の会社に入社すれば、もし韓国に戻ると決めた時は仕事がしやすいだろうという、ある意味ずるい考え方をもっていました(笑) 。

でも入社までには長い壁がありました。

最初、NHN Japanに入社したい!と思っていたわけではなく、軽く「見学に行かせてください」とメールを送っていたんです。 (恵比寿ガーデンプレイスのオフィスを見てみたくて。 )

でも、全然返事が来ない。2回送っても、3回送っても返事が来ない。 
結局6回ぐらい送っても返事が来ませんでした。 
6回ですよ。 もうこうなったら意地ですよ。 7回目送ったら、やっとメールが返って来て 「ぜひ、見学に来てください!」と言って頂き、ようやく見学に行くことができました。

 そしたら、見学に行くとなぜかそのまま面接しましょう、ということになり正直アバウトな会社だな。と感じましたね。(笑) 
その頃はそれでも良かったんですね。

 その後面接がトントン拍子に進んでいって、 最終面接で面接官が2人で、その中の1人が今coconeグループの会長である千会長で、当時のNHN Japanの社長だったんですよ。 

その時に初めて千会長とお会いしました。 
最終面接では私を含め、3人全員韓国人だったのにも関わらず、何故か日本語面接というすごく不思議な時間でした。社内の公用語が日本語だったので日本語レベルを見る上でも日本語での面接だったのでしょう。 

最後に千会長が「どこの軍隊出身なの?」と聞いてくださったんですが、その言葉だけ唯一韓国語でした(笑)。 
最終的には、千会長から面接のその場で「一緒に頑張ろう!」と言ってくださり、入社が決まりました。 
それが今から17年前の出来事です。 

NHN Japan時代の崔さん

Design Lab立ち上げ、拠点を福岡へ 

それから東京の恵比寿オフィス、大崎オフィスで仕事をしていました。 
そしたら、福岡にもデザイン拠点を作ろうという話が持ち上がったのが2011年。それが福岡オフィスに行く始まりでした。 

既に福岡オフィス自体はNHST Japanという名称で2009年に設立され、QAや検索チームが存在していました。 
その時私はキャラクター室の室長をしていたので、福岡でデザイン部門を作るタイミングで立ち上げに加わりました。 

最初は半年に2回ほど福岡へ出張しながら立ち上げを行っていました。 
基本的には現地採用でデザイナー一人ひとりと面接をして増やしていきました。 

行くたびに福岡の方々はもてなしてくれました。その福岡のやさしさや温かさに触れる機会が多かった。 
当時は福岡へ行く事なんて全く想像していなかったんですが、何度か福岡へ行き来する中でメンバーと東京へ戻る飛行機の中で、福岡の人々と触れ合い、人柄や向上心にすごく魅力を感じ、デザインの仕事を幅広くしたかった為、福岡へ行く事、デザイン専門組織を作ることを心の中で決めました。 

 2011年6月に正式にDesign Labを創り、その後、約2年という時間に採用をし続け、83名まで 人数を増やしました。 

当時は1フロアを全員デザイナーで使うぐらい人が多かったんです。
そして、福岡に来て4年後、運営会社としては、初めて事業(今のPuretomo事業部)を東京から継承し、運営だけではなく、事業も本格的に行うことになりましそして2019年8月にcocone fukuokaへ、そして現在の商号cocone vに変更し、今に至ります。

代表に就任して約1年。不安が自信に変わった。

就任したばかりのときは、不安が大きかったです。
どれだけ小さな判断でも慎重に判断をする場面が多かったです。 その場面が一番プレッシャーでした。

代表になって1年、重要な判断を数多くしてきて、もう迷わなくなりました。むしろ、代表という立場と役割が向いていると思うようになりました。

自信を持って早く判断しないと、メンバーも自信を持ってついてこれない。
釜山支店も新規プロジェクトも、決断してすぐにやる、と決め、スピード重視でプロジェクトを進めてきました。
メンバーにも判断を任せるようになりました。与えた試練をメンバーにそのまま経験してほしいからです。

これからも「お客様に心から楽しい時間を提供する」

2023年にはグローバルに向けた新たな事業にも挑戦します。それも一つではありません。
これまで以上に考え抜く必要があるでしょう。

私たちは、お客様が余暇の時間にどれだけサービスのことを思い出して、接続して、また楽しんでいただくか、徹底的に考え、実装しなければなりません。

グローバル展開は、より多くのお客様へ楽しい時間を届けるための手段でしかありません。
本質的にやるべきことは、「お客様に心から楽しい時間を提供すること」です。
cocone vは新しい全てのサービスで、その本質を具現させたいと思います。


cocone vは、現在一緒に働く仲間を募集中です。

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